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武田俊郎(>> プロフィール)
先日、6月市議会を中心とした市政報告懇談会を開きました。6月市議会は、事前の建設委員協議会での質議などは別に、協議団の任務分担の関係で、本議会では私の出番がありませんでした。いわゆる「対決議案」が無かったことも加わり、6月議会の印象が薄かったので市政報告のレジメを作る前に、もう一度、議案を読み直しました。そして『紙芝居で市政報告』と事前に宣伝していたので、作ろうとしたのですが『紙芝居』にならず、単なる『パネル』になってしまいました。(2002年7月20日)
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西村たけし(>> プロフィール)
私の父は3年前の7月、86歳で他界した。 父には2人の弟がいたがミッドウェイ海戦とビルマで戦死した。すぐ下の弟は、ビルマで敗戦1カ月前の7月15日に亡くなった。 啓光学園の下にある禁野・中宮共同墓地で、今、兄弟そろって眠っている。 日本共産党は1922年7月15日に創立された。今年で80周年。東京で開催された記念講演会が同時中継で全国にCS放送で配信され、私は枚方の党事務所で視聴した。 私にとって7・15は平和と活動の原点だ。(2002年7月13日)
中西ひでみ(>> プロフィール)
サッカーのW杯。連日のマスコミの取り上げで、まさに日本中を熱狂の渦に巻き込んで終了した。 私自身は、ルールもわからない音痴だが、世界の高い水準に目を見張りながら観戦をした。国と国の垣根がなくなっている実感と、さらに熱い想いの若者たちが競技場を埋めつくすことに、驚きと新鮮さを感じたりもした。 このエネルギーを、政治を変える力にしていかなくてはとつくづく感じている。(2002年7月6日)
伊藤わか子(>> プロフィール)
日曜日の午前中、後援会の皆さんと有事法制反対の宣伝署名活動を行いました。閑静な住宅街なので少し躊躇しましたが、通り懸かりの男性が「全面的に共産党を好きではないが、言っていることは正しいと思う。頑張ってほしい」と声をかけてくれたり、お母さんと娘さんが自ら家から出てきて署名をしてくれました。危険な中味を知り、反対の意志表明をする人も多くなってきました。皆で力合わせ有事法制を廃案にしなければと思います。(2002年6月29日)
石村淳子(>> プロフィール)
14日サッカーワールドカップ日本がチュニジアを破り決勝に進出した瞬間、歴史の扉が開いた日として日本中が歓喜に沸き立った。世界の強豪を相手にのびのびと力強いプレーをする日本選手に誰もが心からの拍手を贈った。組織プレーだけでなく自分のプレーをアピールし、個の表現力と判断力を身につける。監督はそのことに心を砕いたという。同じ日国会は与党単独で医療改悪を強行採決。こんな小泉内閣にレッドカードを!(2002年6月22日)
広瀬ひとみ(>> プロフィール)
近所の畑でモグラの子が顔を出した。あっという間に息子が捕まえ、初めて見るモグラにびっくり。「モグラだって〜、おケラだって〜」気安く歌ってきたけれど、動物園にもペットショップにもいないモグラを間近に見る機会は案外ない。今、田んぼは、子供達の人気者、兜エビがいっぱい。小さいけれど生きている化石でもある彼らはトリオップスという名で都会では、ホームセンター等で売られているらしい。まだまだ自然が残る枚方です。(2002年6月15日)
きし百合子(>> プロフィール)
自公保政権は有事法制の成立をねらい、ついに核保有を容認する発言まで出てきた。 戦後生まれの私も、日本海に面した久美浜町で、米軍の上陸を迎え撃とうと、勝つ見込みのない竹やり訓練をさせられたり、鍋・釜・指輪まで金属は全て戦争で使うため供出したことなどを母から聞かされて育った。 殿二小学校も弾薬庫になっていたそうだ。 戦争は未然に防がねばと、マイクの声にも一段と力のこもる日々を送っている。(2002年6月8日)
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