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■あれから10年阪神淡路大震災に思いを寄せて(2005.01.29)
1月17日、阪神淡路大震災10周年を迎えた。あの日、私は子どもを家に残し会社に行き散乱した書類の整理と安否確認の電話対応に追われた。同僚は家が倒壊し父親を亡くした。友人は梁の下から救出されたが父親が亡くなった。1週間後に見たマッチ箱のように押しつぶされた神戸の街並みは今も焼きついている。奪われた全ての命と生き残った私達の思いをつなぐと刻まれた「希望の明かり」の前で6433名の犠牲者の冥福を祈り涙があふれた。 |
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■あれから10年(2005.01.17)
阪神大震災から10年。あの日の朝のことは、今でも忘れられません。何がなんだかわからないまま党の事務所に出勤し、テレビに映しだされる神戸の状況に愕然としました。翌日から、おにぎりをにぎり、雑炊の用意をし、支援隊に渡す毎日。被災者支援に全力を尽くしながら「命を何よりも大切にする政治を」と訴える日本共産党が大好きになりました。 あれから10年、この国の政治を変えるためにまだまだ頑張らきゃいけません。 枚方市会議員 広瀬ひとみ |
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■おめでとう!啓光学園 全国ラグビー大会四連覇(2005.01.15)
光学園がみごと全国高校ラグビー大会戦後史上初の4連覇を成し遂げた1月7日の決勝戦を花園ラグビー場のスタンドから応援することができました。 試合の前評判では「啓光苦戦」とも伝えられていました。 しかし試合が始まると前半終盤でトライされ天理が追い上げるのではと少し心配しましたが後半が始まると4分間で速攻の2トライ、これで試合が決まり、31対14で圧勝しました。 寒さを吹き飛ばす熱い感動をもらいました。 野口 光男 |
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■母(2005.01.08)
母は83歳。 母のつくる「おせち」は、また格別。和服を縫い、カラオケクラブに通ったり、人生を楽しんでいます。 今年の正月も、母親手づくりの和服を着て、私は過ごしました。 たまに実家に戻ると懐かしい料理にありつけます。元気な母の存在がうれしい。 母の実際の誕生日は大正11年1月1日。あまりに、めでたいから、祖父が誕生日は2日と役所に届けたそうです。 その母が赤旗新聞をよく読んでいる。あまり頑張らず「ぼちぼち」生きてよ! 西村たけし |
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